広島のあすにゃん

広島のアスリアが、日々の備忘録を書きます。

わたしには夢がある

「中の中」
 夫はわたしのブログを読むと、即座に評価した。
 評価の基準は9通りある。最高の褒め言葉は上の上(今までされたことはない)。そして平凡なのは「中の中」である。最悪は「下の下」。いつもわたしのブログは平凡だというのが夫の評価であった。厳しいがそんなものだろう。わたしに群ようこなみの才能があったら、とっくの昔にデビューしている。
  1995年から、自分のホームページ『にゃんちゃんが行くよ』で文章を書き続けている。わたしが文章を趣味にしていることから、わたしのためにサーバーを借り、ホームページ用のプログラム言語HTMLを勉強させてくれて、しかもHP作成用のアプリまで購入してくれたのである。
 だから当然、プロを目指した。
 自分のためではなく、夫のため――というと美談だが、実際にはわたしの文章は自我の垂れ流しで、とても読めたモノではなかった。
 それが自我の垂れ流しだとわかるのは、5年前にFacebookで作家にエッセイを読んでもらい、講評をもらったからである。内容は、これに類していた。
 【今日はスーパーでナスと挽肉を買って麻婆茄子にしました。美味しく出来ました】。
 小学生ですか!
 こんな文章を書いていて、プロになれるわけがない。評価をする夫にも迷惑だろう。なのにこの30年近く、夫は変わらずに評価をし続けてくれている。わたしはそれに甘えて、夫が仕事から帰宅すると必ず問いかける。
「今日はホームページ、見てくれた?」
「見たよ。まあ、中の中ぐらいのレベルだね」
「何が足りないんだろう」
「キミは愛嬌あってフレンドリーなんだから、それを効果的に使わないとダメじゃないのか」
「うーん。それって文章とは関係ないと思う……」
 わたしらしいって、なんだろう。どういう意味だろう?
『愛嬌あってフレンドリー』という夫のセリフはほんとうなのか。
 結婚当初、母に大反対されたため、駆け落ちまで考えた仲である、多少は盛っている可能性がある。
 親の欲目ならぬ配偶者の欲目なのかもしれない。
 愛嬌のないブログを見て、キミらしくないとか言うのは、ほんとうはわたしを認めていないのだろうか。
 夫の評価は、アテにしていいのか。
 アテに出来ないなら、だれがいい?
 客観的な目が欲しい。
 友だちは忙しくてハードルが高すぎる。
 気持ちはまるで嵐のなかを進む帆船のようだった。
 わたしは書いた。書きまくった。
 当時はブログというモノはインターネットに存在しなかった。
 頁をひとつひとつ作って、それにいちいちリンクを張っていた。
 たまにリンク切れがあったり、文字化けがあったり。
 サイトを検索するためのエンジンも存在しなかった。
 サイト同士が相互リンクしたり、面白いサイトを紹介する本が出たりしているうちに、検索エンジンが登場した。
 その当時ぐらいだろうか、ブログが出て来たのは。
 ブログの正式名称は、ウエブログ。
 サイト運営にかかわる人間が、自分のサイトの更新を記録したものが原型であると聞いている。
 更新しやすいように、投稿すれば以前のデータが巻物のようにするするとネット上にひろがっていく。
 巻物は紙だから残るのだが、うっかりサーバーをいじるとデータが消失することがあったりする。
 だがネットは世界に通じている。見ている人も多い。
 ブログライターたちのなかには、有名になる人間も出て来た。
 そういう人たちはブロガーと呼ばれ、テレビにも出演したという。
 主に商品の宣伝で紹介料をもらっていたブロガーたちのなかでも、アクセス量の大きな人たちのことをアルファブロガーと言っていた。
 今で言う『インフルエンサー』みたいなものである。
 その当時は動画がなかった。
 画像もあまり添付できなかった。
 コンピュータがそこまで発達していなかったのである。
 平成時代は、コンピュータが発達していく時代であった。
 昭和には土の臭いがつきまとっているが、平成時代は無色透明である。
 無色透明な人々が、いろいろなところで目立っていく。
 煌びやかな色が付いていくのである。
 わたしは唇を噛んだ。
 アルファブロガーだって? なにさ、瞬間接着剤じゃあるまいし。
 商品の紹介で名前を売る。ズルい。
 テレビのCM番組でもやっているじゃないか。
「ごらんください! つけてすぐ着くアロンアルフア! 今ならなんと、五割引!」
 あんなの正統なやり方じゃない。
 たしかに面白いけど、わたしの目指してるのはそこじゃない。
 演出たっぷりに、
「おお、まさかの五割引!!」
 とかのけぞってみても、商品がよくなければ意味はない。そしてブロガーたちが本当に価値のある商品を紹介できるとは限らないことも知っていた。
 チラチラ気にしながら、マイペースを貫いた。
 ひとの商品なんか、関係ないもんねの世界である。
 自分の文章を魅力的な域にまで高めたいのである。
 だが、魅力的な【内容】なのか?
 読んでいて楽しいか?
 そうじゃないだろう。
 とつとつと、淡々と、あったことだけを書いている。
 演出力が足りていない。
 読者がいない=魅力的な文章が書けていない。
 だからハッキリ言って負け犬の遠吠えである。
 時代は進む。マイペースのわたしを置いて、ずんずん進んで行く。
 ブログの文章が長すぎることから、ツイッターSNSも出て来た。
 ツイッターでゆるくつながったあとでブログを読んでもらうとか。
 わざと記事を炎上させて、アクセスを増やす技法も知った。
 そんな手間をかけたり、目立ったりして自分を認めてもらいたいという、人間の業の深さにゾッとした。
 わたしはいったい、なにをしているのだろうか。
 人に読まれる文章を書いているのか。
 もがいても、もがいても、プロから認められる経験をしたことがない。自分もまた、そういう業の深い人間だと気づかなかったのである。
 今は認められなくても、いつかは実力が認められる……。
 だが、どれだけやっても編集者から声がかかることはなかった。
 当時は珍しかったインターネットも、30年も経てばわたしのサイトはその他おおぜいになってしまう。ネットへのおどろきや戸惑いは、慣れてしまえば日常だ。まわりをふと見まわすと、知りあいは1人去り、2人去りして行く。連絡が取れなくなったり、サイトを閉鎖したりしてしまうのである。炎上させていた人の多くはサイトを閉じた。アルファブロガーたちは売れる商品を紹介できなくなった。みんなやめている。もうやめよう、どれだけやってもムダだとささやく声がする。
 しょせん、自分のジコマンじゃないか。
 認めているのは、夫だけじゃないか。
 その評価だって、いつも『中の中』ばかりじゃないか。
 わたしには才能はない。
 たしかに人よりも文章は上手かもしれないが、プロになるほどの力量はないのである。
 だが。
 負けるものか。
 もうひとりの声が叫ぶ。
 たしかに文才はないだろう。センスもないだろう。
 となったら、技術を磨くしかない。
 文章を上手に書く、それで読ませる。
 では、どうやったら、もっと上手になれるだろう。
 文章の本を何冊も読み、そこに書いてあるように書き写しを何冊もした。
 登場人物の行動やセリフ、心の動きに注目する。
(どうして、こんな行動を取ったの? 何で、こんなことを言ったの?)
 一番盛り上がった場面や記憶に残った場面に注目してみようと試みる。
(記憶に残った理由は? その場面を読んで、どう感じた?)
 ひとつひとつ、地道にコツコツやっていく。
 何度ダメ出しをもらっても、諦めない。
 心はマリンブルーだが、希望はつねに抱いていた。
 文才は書かない人の言い訳だと自分にいいわけした。良し悪しを決めるのは自分じゃない。中の中? 上等じゃないか。貴重な真珠を見つけるダイバーのように、自分の力を磨いて行こう。
 そうせずにはいられない。
 だって文章が好きなんだもの。
 ある人は言う。自分のために書くんだ。未来のために書いてやる、という意識を持つようにしろと。
 書くことについて、お金やキャリアにつなげようとしない(結果が出なくてもいい)とも言うのだが、自分の人生という時間を費やしたからには、なんらかの結果は出したいところである。仕事ではないにせよ、もう30年なのだ。石の上にも三年なんてもんじゃないのである。
 そんなわたしだが、エッセイを出版社に投稿する勇気はなかった。
 小学生の日記を読む人はいるだろうか?
 知りあいや学校の先生でもないのに、読んでもらうのはおこがましくないか?
 評価してもらえないのに出したって、向こうが名前を見たとたん「またこいつか」と落とす可能性だってある。
 落とされるのは怖かった。
 投稿したって助言はもらえない。どうしていけなかったのかは、自分で考えなければならないのである。
 ヘボいのがまた来たと落とされるよりも、助言をもらえる人に見てもらいたい。
 切実だったのだ。人から助言が欲しかった。
 下読み以外の人に読んでもらいたかったのである。
 技術は着実にあがってきたので、いろんな人に見てもらいたかったが、夫以外に見てくれる人は皆無だった。
 わたしは自分のサイトだけでは満足できなくなった。
 反応のないところでもがいても仕方がないのだ。
 もちろん有料の小説やエッセイ講座にも受講したが、添削はされてもナゼ伸びないのかは教えてくれなかった。
 創作系の小説やエッセイを投稿できるサイトを探して歩く。
 小説家になろうサイトにもおじゃましたが、わたしの作風ではなかった。そもそもエッセイストになろうというサイトではないのだから当然である。
 こうしてたどり着いたのが、はてなブログだった。

 はてなブログは、創作初心者に優しいサイトであるという噂があった。そこで2019年『ナルニア国物語』についての記事を書いた。タイトルは『やっぱりナルニア!』である。ちょうどハリー・ポッター・シリーズに影響を与えたということで話題になっていたこの本は、わたしの小学四年生のときに読んだものだった。有名なのは扉を開けると異世界へ行ってしまうシーンである。このシーンに影響されたアニメや小説は枚挙にいとまがない。
 この本は、おとなになった今よく読んでみると、描写はショボイし細かいところに矛盾もあるのだが、わたしには思い入れのある本である。
 ネット名アスリアで投稿を開始した。後述するが、アスリアはわたしがひそかに小説に書きたいと思っている登場人物の名前である。彼女はネルビアという超古代文明の末裔国の王女で、兄を殺害された上に自分は暗殺されそうになっているという設定だけは出来ている。話が進まないのだが。
 ともかくナルニア国物語研究に特化したブログ『やっぱりナルニア!』を発表した。この話のファンは多いから、少しぐらいはアクセスがあるだろうという読みである。自分の書きたいことばかりを書いていた時期を考えると、少しは成長したのだろう。ただし、はてなブログの読者傾向に沿っているとはとても言えないものだった。もともと、名もない一般主婦の記事が読まれるわけがないのである。それなら、どんなものが読まれるのかぐらいは研究するべきだったろうに、それすらしなかった。その点では、相変わらず自我の垂れ流しなのである。
 ところがメールで報せが来た。
 スターが付いたというのである。
 わたしは目を疑った。
 はてなブログで星が付いた。
 ほんとうだろうか。そこまでわたしの作品は、人を動かす力があるのだろうか。
 スターと言えばはてなブログの評価の基準としては、かなり貴重なもののはずである。ツイッターのイイネよりもずっとレベルは上だと思っている。
 ツイッターの記事の上限は140文字だが、ブログはそれ以上だから、長文を読んでないとつけにくい。そこを越えた上でスター付与という手間をかけるのだから、かなりいいセンをいっていると思われる。
 確認してみると感想まで入っていた。好意的な感想だった。
 わたしは心臓が飛び出すような衝撃をおぼえた。
 感想が来た。
 いままでそんなことがあっただろうか。
 まるで、ミシュランに評価された店のようだった。
 自分の記事が、スターを獲得した。
 しかも、まったく知らない人から感想までいただいた。
 胸がドキドキわくわくした。夫は中の中なんて言ってるけど、わかってくれる人はいるじゃないか。
 励まされた。燃え上がるような勇気を、そのコメントからいただいたのである。
 そして初めて、自分が乾いていることに気づいた。
 自己満足のために書いていたが、評価されてはじめて、自分というものが人に影響を与えられると悟ったのである。
 認められたい。承認されたい気持ちは、抑えがたいものだった。
 承認欲求は、少しでも満たされると塩水を飲んだようにさらに増してくるものだ。
 もっともっと、認められたい。
 人間は、承認されてはじめて存在しうるのだとまで思った。
 記事を書き続けた。
 残念ながらナルニア国物語研究においてはスターはそれ以上つくことはなかった。
 スター獲得のためには、どんなことをすればいいだろう。
 そこで研究を深めるのではなく、守備範囲を広げた。
 はてなブログは、複数のブログを運営できる。
 わたしの場合は歴史に関する研究や、地元広島でのわたしの日常の備忘録について書いた。この『やっぱりナルニア!』よりも古いブログである。合計でみっつになる。
 歴史と言っても戦国時代のことではなく、地元広島で知ったことや学んだことの備忘録だ。アクセスはあまりない。もともとアクセスを期待していなかったから、それは別にかまわない。
 日常系のブログは、昭和ネタなども含めている。これは昭和ネタがある一定の需要があるからだが、それ以上に昭和を舞台にした時間SFを書きたいと思っているので、そのための準備である。
 やってみて、意外なことになってきた。
 思いのほか負担になってきたのである。
 自分でも、作りすぎだと思った。
 たまにスターももらえるが、最初に感じたときめきは、むしろ幻滅になってきた。
 自分が、なにをやりたいのかわからなくなってしまったのである。
 歴史をやりたいのか。
 日常を語りたいのか。
 あるいは、ナルニア国物語の話がしたいのか。
 自分のテーマがハッキリしないのに、スターをもらって大丈夫なのだろうか。
 そう思って見ると、先人たちの偉大さが身にしみてくる。
 吉田兼好は、人生のむなしさを。
 清少納言は、日常の感動を。
 それぞれ主張があるのに、わたしはどうか。
  やっていることは、気まぐれな暇つぶしでしかない。
 お気楽でエゴイスティックな話ではないか。
 ナルニア国物語研究だって、もっとお金と時間と手間をかければ、アクセスは増えるだろう。調査力や洞察力が話題になり、本になったかもしれない。
 手間暇かけて無料で発表するからこそ、アクセスが増えるのがインターネットの世界なのだ。SEO対策(アクセス増加対策)サイトでも、そのためのコツとして手間暇をかけろと書いてある。趣味が多様化した現代では、ただの情報では希少価値はない。もっと熱意や情熱、そしてマニア的なウケなどが必要なのだ。
 しかしわたしはエゴのカタマリだった。自分は無料でいろんな情報を手に入れているのに、他人へはすぐに反応や対価を求めていたのである。
 いつまでもはてなブログに関わっているべきではないだろう。はてブも迷惑に思っているに違いない。
 自サイトもある。いちいち別記事を書いたり転載などしていたら、身が持たなくなる。
 どうせ評価されないのなら、自サイトを大切にしよう。
 勝手に理屈を付けて、わたしははてブを放置した。
 若かった。
 バカだった。
 あの頃は、自分に言い聞かせたのである。
 人は誰しも我が身が可愛い。
 自分が優先になるのは、世の習いである。
 自サイトがどんなに閑散としていても、実力で見返してやる。
 鼻息だけは荒かった。
 わたしは自分のサイトに戻った。はてブでお互いに感想を言い合い、切磋琢磨すれば、もっと早く成長できただろうに。
 その代わり自サイトブログを充実させようと思ったのである。
  こうしてはてなブログは長い休止状態になったが、ブログ自体はつづけていた。
 歴史ブログも、『やっぱりナルニア!』も、日常ブログも廃止しなかった。
 スターが付いてるからと欲張ったのだ。
 あわよくば、あのブログのひとつがもっといろんな人にも見られるようになるかも、という期待もあった。
 あすなろのように、あすは檜になろうとしていたのである。
 しかし、あすなろは決して檜にはなれない。
 自分勝手な理屈を付けて、アクセス増加を無視すれば、なおさらである。
 好きならば、もっとその分野を究めるべきだろう。
 わたしはそれをしなかった。
 「好きな本がある」などと、どの口が言うのだろうか。
 センスも才能も根性もないわたしには、究めることより「続ける」ことしか目標はなかった。究めるなんてことは考えもしなかった。継続は力なり。為せば成る。やみくもに自サイトを書き続けた。
 そんなある日、転機が訪れた。

 ある秋。曇りがちの午後一時ぐらいだろうか。
 わたしは道を歩いていた。
 そこは舗装された土手。その東側が草ボウボウで、通る人はみんな脇の草をわずらわしそうに見ていた。
 その雑草は、いずれ市が刈り取ることになっていた。だれもそこは通らない。注目する人はいないはずだった。青々とした草が、脇道いっぱいを占領している。
 その土手を通り抜けようとしていたとき、声がかかった。
「あの、済みませんがこれを見ていただけませんか?」
 見ると皺だらけで白髪も薄い小さな老女が、草むらの中をさしている。わたしはいぶかしく思って老女をすばやく観察した。
 注意散漫なわたしにとって、人やモノを観察するのはかなりの骨である。観察することは本能にさからうことだという人もいる。それが本当なら、観察を苦手とすることは動物的な面が強すぎるということになる。文章を書く上では、論理や理性は必要不可欠であるはずだ。老女を無視して先に進むのはたやすいが、それでは文章修練にもブログのネタにもならないだろう。道草があるから日常は面白いのだ。
 だからわたしは老女を失礼にならない程度に観察した。座れる歩行器がそばにある。足腰が弱いのか。座席の部分は青みがかった灰色で、横一筋にチャックがついていた。その隣にいる老女の方は、身長は140センチぐらいだろう。小さな瞳を小学生のようにキラキラさせている。たった今、貴重な宝物を見つけたようだ。
「なんでしょうか」
 老女が示す方を見て、ギョッとした。
 黄黒のだんだら模様の巨大な蜘蛛が、土手の草むらに巣を張っていたのである。不気味な長い脚が四方に放射されている。全体の直径は15センチはあるだろうか。草の中にまぎれてとても見えにくい。
 わたしはそれを眺めながら、審美眼が働いてくる自分を発見した。それまで、ずっと事実を書くこと、あったことをありのままにただ記述するだけだった。これが5年前だったら、ジョロウグモを見つけた、不気味だったとだけブログに書いていただろう。しかし今は違う。こんな蜘蛛にも命がやどり、その不気味さのなかに美しさすら感じている。平凡な感覚だが、たぶんこれは、古典の感覚に似ているのではないだろうか。
 人に評価されて出来ることじゃない。
 自分の変化にとまどい、驚き、そしてそれに客観的に気づけたという感動に心が鷲づかみにされるのをおぼえた。
 努力は裏切ることがある。けれど、決してムダにはならない。
 キミはぼくにはオンリーワンだと夫は言う。
 そんな彼の文章評価はいつも中の中だ。いつか、それが上の下ぐらいになってくれるだろうか。
 いつの間にか、老女はいなくなっていた。もしやあの人は、仙女だったのだろうか。わたしはあたりを見まわした。むうっと葉緑素香のする土手には、相変わらず蜘蛛が巣を張っている。
「キレイだね」
 声をかけても、蜘蛛はガン無視だった。
 
 いつまでも伸びない、認められないと嘆いていてもはじまらない。
 優秀であること、TOPでいることにこだわっていてもしかたない。
 だから、自分の長所を伸ばすことに決めた。
 あの蜘蛛のように、機会を待てば、なにかが変わるかもしれない――。
 小学生の日記をいつまでも書いていては、この30年近くの努力がフイになる。そうだ、わたしの中でなにかが変わった。たしかにまだまだ注意散漫かもしれない。同じまちがいを繰り返し、一向に成長がないのかもしれない。
 しかしわたしは諦めなかったのだ。
 諦めなかったからこそ、内面的に変化が見え始めている。
 伸びしろは少ないだろう。若いときと違って、記憶力も減退している。しかしブログを書き続けて、いいこともあることに気づいた。
 だれもコメントしなくても。
 スターを立て続けに大量に獲得するほどの記事が書けなくとも。
 あきらかに自分の世界が広がっている。
 モノクロ2次元だった視野が、カラーの3次元になったのだ。
 もし、ブログを書くのを諦めていたら、わたしはどうなっていただろう?
 やり甲斐を失うことは、生き甲斐を失うことでもある。
 人はパンのみにて生くるものに非ずという。
 ほんとうに「生きる」ためには、「現実社会」での「他人の評価」など、気にしてはいけないのかもしれない。
 才能があると自負できないから、評価は他人がすると思っていた。
 「生きる」ためには、才能や生活だけでない「なにか」が必要になってくるはずだ。
 それが何かはわからないが……。
 夢や希望だけでは生きていけないし、ゲーテなどは希望は恐怖とならぶ人類の敵だなんて言っている。
 自分の変化を自慢げにひけらかして、ひとに「待て、そして希望せよ」などとさかしげにスローガンをぶちかますなんて、「愛嬌あってフレンドリーな」わたしのキャラじゃないのかもしれないけれど。
 自分の変化を自覚したこの成果は、ひとつのきっかけになった。
 為せば成る。エッセイはわたしを一つ上の段階に引き上げてくれた。
 ならば――。
 あの夢がかなうかもしれない。

  先ほどちょっと触れたのだが、エッセイを書くと同時にずっと、ふたつのある小説を書くためにトライし続けてきた。
 ただの小説ではない。
 ふたつあるうちの一つは、昭和をネタにした時間SF。
 もう一つは、あの宮崎駿の『天空の城ラピュタ』をモチーフにしたファンタジーで、絶望的な状況下の中、ある国が最終兵器をめぐって敵と戦い、これに勝利するというストーリー展開である。
 名作をパクろうなんておこがましくないか? 百年はやいと人は思うだろうが……。
 宮崎駿だって、まったくのゼロからあの話を発想したわけではないのだ。ラピュタは『ガリバー旅行記』からの引用だと明言しているではないか。
 わたしだって、やれば出来るはずだ。
 デッドコピーにならないようにするが、描写を適宜いれ、世界設定もしっかり作り込み、魅力的なキャラクターも登場させたい。
 隠れたメッセージには、核兵器廃絶への広島の願いを盛り込みたいのである。
 今さら原爆反対なんて、古いテーマかもしれない。
 力には力しか通用しないのが世界の常識なのかもしれない。
 そんな常識に対して、わくわくドキドキさせながら疑問を投げかける。
 山あり谷ありのお話にしたい。
 野望はあるのだ。
 それを書くまでは、死んでも死にきれないとまで思っている。
 見果てぬ夢を見ているのである。
 届かぬ星に手を伸ばし、最後には燃え尽きてしまうのだろう。
 どんなに絶望的でも、どんなに遠くても、自分の信じたことをつらぬくことで、人や自分を変えていきたい。
  だが、今はとてもそこまでいかない。
 力がないのである。 
 応用力というか、機転のようなものがない。
 やりたくても出来ない、これがくやしい。
 ジタバタ地団駄ふむのである。
 ぐちゃぐちゃ髪の毛かきむしるのである。
 残念でならないのだ。
 残された時間があまりに少ない。
 統合失調症のわたしは、薬の副作用で平均寿命より10歳わかく死ぬかもしれないと言われている。
 寛解した心が質的に変化するまで、30年かかった。
 夢をかなえるには、もっとかかるかもしれない。いや、きっと夢はかなわないだろう。わたしの踏んだ足跡を、だれかがついてきてくれたらそれでいい。
 そのためにわたしはブログを書く。
 広島の願いは、世界の命。
 ファンタジーにするには、重すぎることはわかっている。
 だが、わたしのブログ生活は、そのためにある。
 あだやおろそかにはできないのである(了)