広島のあすにゃん

広島のアスリアが、日々の備忘録を書きます。

翼の生えたブーツとスポーツの精神

天風録アラスジ

 

スポーツは、個々の選手が自身の信念や目標に向かって努力し、挑戦する場でもある。この精神は名作映画「炎のランナー」で見事に描かれており、昔から今日に至るまで変わらないスポーツの本質を示している。

 

しかし、近年ではスポーツの舞台であるオリンピックが、政治的な揉め事やテロの脅威に直面している。これらの問題は、スポーツの本来の目的を曖昧にし、選手たちの努力を脇に追いやる可能性がある。

 

100年ぶりのパリオリンピックが間近に迫っている。未解決の課題が山積みである一方、この大会が希望と平和の象徴となり、スポーツの本質を再認識させてくれることを期待している。

 

 

 

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2024/04/27の天風録より。
(引用開始)

「心には希望、かかとには翼―。昔の英国映画、「炎のランナー」のせりふを思い返す。1924年のパリ五輪で躍動した英陸上選手団を回想する言葉だ」

(引用終わり)

 

かかとには翼、という表現で、松田聖子の有名な曲「赤いスイートピー」を思い出す人もいるかもしれません。その歌詞には、「I Will Follow You 翼の生えたブーツで」という印象的なフレーズが含まれています。

 

この翼の生えたブーツとは、ギリシャ神話に登場する神、ヘルメス(ローマ神話ではメルクリウス、または天体としては水星の名でも知られています)が履いていた靴を指しています。

 

ヘルメスは、神々の間でメッセンジャーとしての役割を果たし、その素早さは他の神々と比べても圧倒的でした。

 

つまり、このフレーズは、ヘルメスの持っていたその特性を象徴しているのです。それが、「かかとには翼がある」という表現の真意です。これは、素早さと機敏さを象徴し、目標に向かって直線的に進むことの重要性を強調しています。

 

世界には未解決の課題は山積みですが、一時的であっても平和が訪れ、スポーツの祭典が無事に終わることを願ってやみません。

 

緊迫の瞬間:トランプ再登板による日本の危機

天風録アラスジ

「もしトラ」というフレーズは、トランプ氏が再び米大統領になった場合の日本の不安を表していると米紙は伝えている。自民党麻生太郎副総裁はトランプ氏と会談し、秋の大統領選に向けて他の各国の要人たちも「トランプ詣で」を続けている。

 

 一方で、岸田文雄首相は2週間前にバイデン大統領との会談を持ち、その関係性が保たれるかどうか、筆者は危惧している。

 

  トランプ氏は麻生氏に金色の鍵を記念品として贈り、これは信頼の証しとされている。トランプ氏が復権を果たした場合、金色の鍵で国際協調の場に出ることができるかどうかが問われている。

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アメリカの新聞に「Moshitora(もしとら)」という日本の流行語が登場するという事実は、米国の新聞がかなり日本の文化に精通していることを示しています。

 

   このフレーズには、トランプ氏の当選確度に応じて「ほぼトラ」「まじトラ」「確トラ」といったバリエーションが存在すると言われていますが、アメリカの新聞はそれら全てを紹介したのでしょうか。

 

  このような細かい日本の流行を取り上げることは、新聞が新鮮な話題を求めていることを示しており、それがまた読者にとっては、そこまでしないとネタがないのかと笑える一面かもしれません。

それはともかくとして、次回の選挙でトランプ氏が再び当選した場合、世界の緊張感はさらに増す可能性があると感じます。

現在、バイデン氏はウクライナへの軍事援助予算案を通したところです。これはウクライナの安定と地域の平和にとって重要な一歩です。しかし、もしトランプ氏が再度当選したら、ウクライナの未来はどうなるのでしょうか。欧州はすでに援助疲れが見えているそうですが……

 

我々の国、日本もその影響を受ける可能性がかなりあります。日本の平和が維持される期間はどれほどなのでしょう。私たちはこの状況を、注意深く見守る必要があるでしょう。

 

民主主義の鉄則:ガンジーの胸像と地元の異論

天風録アラスジ

1916年に初めて日本を訪れたインドの詩人タゴールと、非暴力を唱えインド独立を導いたガンジーが紹介されている。

 

ガンジーの胸像が広島市長崎市に設置される話題が取り上げられているが、その設置には地元から異論が出ている。その主張は、ガンジーが民主主義の定着に尽力した人物であることを考えると、地元住民の意見を無視しての設置は適切ではないというものだ。

 

インドでは現在総選挙の投票が進行中で、その有権者数は約10億人に上ると述べられている。この文脈で、軽々しい風潮や上からの独断によって自分たちの人生や地域が曲げられないようにするという、民主主義の鉄則が強調されている。

 

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アジアで初めてノーベル賞を受賞したのが、インドの詩人だという事実を初めて知ったとき、非常に驚きました。インドの公用語は英語であるため、ノーベル賞との親和性も高かったのでしょう。

 

一方、日本語は一説によれば世界の三大難解言語の一つに数えられており、他の二つはギリシャ語とヘブライ語だとされています。

 

   日本語には他の言語にはない独特のニュアンスがあり、これを英語に翻訳することは困難です。これが、村上春樹の作品が「英語っぽい」と称され、海外で多くの読者を持つ一因となっているのかもしれません。彼の作風はその独特の雰囲気を保ちつつも、多くの人々にアクセス可能であるという特性を持っています。

 

「天風録」の話題はインドつながりでガンジーにまで及んでいます。ガンジーの胸像が設置されることについては、「その意図は理解できるが、強制的に押し付けられるのは嫌だ」と感じる人もいるようです。

 

民主主義とは、多様性と個々の意見を尊重し、一方で公共の利益を追求するバランスを保つことであり、これは常に難しい課題であるのだと実感します。

 

公正性を守るための圧倒的勝者への規制

天風録アラスジ

ITビジネスでは、技術的に優れた企業が国際標準を握り、大きな利益を得る状況が生まれる。

 しかし、公正取引委員会Googleのような圧倒的な勝者に対して行政処分を行うことで、規制とチェックが行われる。このような状況は、勝者の後に敗者が続くじゃんけんの遊び(「勝者総取り」)に例えられる。

この「勝者総取り」の状況は、インターネットというネットサービスが日常生活や仕事において必要不可欠な存在となり、電気や水道と同じ公共事業ともいえる現代社会において特に顕著である。

 だからこそ、市場の公正性を保つために、圧倒的な勝者に対する適切な規制やチェックが必要となるのである。

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インターネット検索エンジンの大手であり、全世界にその名を知られているグーグルが最近、行政処分を受けました。

 「検索エンジン」とは、ウェブ上の情報を収集し、ユーザーが入力したキーワードに関連する情報を迅速かつ効率的に提供するシステムのことを指します。その中でもグーグルはその高度なアルゴリズムと広範な情報収集能力により、他の追随を許さない地位を確立してきました。

 しかし、その独占的な地位が行政処分の理由となりました。

この状況は、競争の少ない市場において、一部の企業だけが大きな力を持つことによる問題を示しています。

要は、競争のすくない範囲でどれだけ影響力を持てるか、ということです。この視点から見ると、ある種の皮肉さ、あるいはひねくれた思考まで感じてしまうことがあります。

 世渡り上手でいれば、儲けはバッチリ。今まで行政が何もしなかったのがふしぎでなりません。

グーグルがもう少し、権勢を削がれると、世の中は違った風景が見えてくるかも知れませんね。

 先のものは後になり、後のものは先になるのです。今後のグーグルの動向が気になります。

 

自費出版の挑戦と努力が生んだ賢治の作品

天風録アラスジ

 

宮沢賢治の詩集「春と修羅」は、100年前に自費出版され、その表現力と深遠なメッセージで今もなお読者を惹きつけている。詩の中で描かれる修羅の世界や怒りの感情は、現代の社会や政治にも通じるものがある。

 

賢治の詩は、その表現力と深遠なテーマで、多くの人々に感銘を与えてきた。「春と修羅」は、争いの絶えない世界や怒りの感情といった強烈なイメージを描き出し、読者に深い思索を促す。

 

その一方で、良く知られている「永訣(えいけつ)の朝」のような詩は、人間の感情と生の儚さを見事に表現している。「天風録」筆者は、現代社会における「まことのことば」の欠如を嘆きつつ、その響きを我々に伝えている。

 

コメント

 

自費出版という分野には、非常に価値のあるものもありますが、残念ながら大半はそれほど優れたものではありません。

 多くの場合、読むことで何らかの知識や洞察を得ることは難しく、単に時間を浪費してしまうような内容ばかりというのが現実です。

 

それでも、自費出版の中にはベアトリス・ポッターのような才能が認められる例もあります。

 

  彼女の「ピーター・ラビット」シリーズは、自費出版の中でも特に素晴らしい作品として知られています。十年ほど前に美術館で開催されたピーター・ラビットの展示を見に行った際には、彼女のウサギの解剖学への深い理解に感心するばかりでした。

 

これは、どんな分野でも同じで、何かを究めようとするならば、十分な調査と練磨が必須です。

 

  我々が知っている宮沢賢治も、自費出版の道に挑戦し失敗しましたが、それが彼を止めることはありませんでした。彼は死ぬまで推敲を重ね続け、その結果、豊かな表現力と深いテーマを持つ作品を生み出しました。

 

 彼が死後に認められたという事実は、その努力と才能がいかに価値あるものであったかを物語っています。そして、彼の作品は今でも新鮮さを失わず、読者に深い感銘を与え続けています。

 

天風録アラスジ

 

宮沢賢治の詩集「春と修羅」は、100年前に自費出版され、その表現力と深遠なメッセージで今もなお読者を惹きつけている。詩の中で描かれる修羅の世界や怒りの感情は、現代の社会や政治にも通じるものがある。

 

賢治の詩は、その表現力と深遠なテーマで、多くの人々に感銘を与えてきた。「春と修羅」は、争いの絶えない世界や怒りの感情といった強烈なイメージを描き出し、読者に深い思索を促す。

 

その一方で、良く知られている「永訣(えいけつ)の朝」のような詩は、人間の感情と生の儚さを見事に表現している。「天風録」筆者は、現代社会における「まことのことば」の欠如を嘆きつつ、その響きを我々に伝えている。

 

コメント

 

自費出版という分野には、非常に価値のあるものもありますが、残念ながら大半はそれほど優れたものではありません。

 多くの場合、読むことで何らかの知識や洞察を得ることは難しく、単に時間を浪費してしまうような内容ばかりというのが現実です。

 

それでも、自費出版の中にはベアトリス・ポッターのような才能が認められる例もあります。

 

  彼女の「ピーター・ラビット」シリーズは、自費出版の中でも特に素晴らしい作品として知られています。十年ほど前に美術館で開催されたピーター・ラビットの展示を見に行った際には、彼女のウサギの解剖学への深い理解に感心するばかりでした。

 

これは、どんな分野でも同じで、何かを究めようとするならば、十分な調査と練磨が必須です。

 

  我々が知っている宮沢賢治も、自費出版の道に挑戦し失敗しましたが、それが彼を止めることはありませんでした。彼は死ぬまで推敲を重ね続け、その結果、豊かな表現力と深いテーマを持つ作品を生み出しました。

 

 彼が死後に認められたという事実は、その努力と才能がいかに価値あるものであったかを物語っています。そして、彼の作品は今でも新鮮さを失わず、読者に深い感銘を与え続けています。

少女と元原発作業員の出会い

天風録アラスジ

今日の「天風録」は、少女の旅と道の駅の役割についての物語。

   映画『風の電話』の少女は、広島から岩手へのヒッチハイクを通じて元原発作業員と出会う。道の駅は旅の休憩所だけでなく、目的地となる場所で、特色ある体験や地元の産物を提供します。最近では防災施設としての役割も果たしている。

 

物語はさらに進行し、少女と元原発作業員の交流が深まる中で、道の駅の重要性が一層強調される。

  道の駅は、旅行者がその地域の文化を体験し、地元の産物を味わう場所であり、また、災害時には救援基地として機能する。道の駅はただの休憩所でなく、地域の魅力を発信する役割も果たしている。

 その進化を見ながらも、旅情を感じる少女の姿を通じて、読者にはその土地ならではの魅力が伝わるであろう。旅は目的地を目指すものでありながら、その途中で出会う風景や人々、体験が旅を豊かにしている。

コメント

「天風録」を読むまで、道の駅の発祥が中国地方と深く関わっていたという事実は全く知らなかったのです。

 

  単純に道路にトイレが欲しいというニーズから始まったことに驚きます。

 

  発想の出発点は、何とも地味ですが、それが豊かなサービスへと発展したことは、その考え方の素晴らしさを示しています。

 

  広島県だけでなく、中国地方全体の人々は、革新的で進歩的な発想に対して特に敏感で、そのようなことになると、本領を発揮する傾向にあるようです。彼らの創造性や前向きな思考は、これからも我々が学び取るべき点であると感じます。

 

ロードムービー「風の電話」は未見ですが、少女と元原発作業員との心のふれあいにおける創造性や前向きな思考がありそうです。

 一度、見て見たい映画になりました。少女はなぜ、ヒッチハイクで広島から岩手へ行ったのか。途中で出会う元原発作業員はなぜ、少女と関わるのか。今後、観る機会があったら(そして覚えていたら)見てみます。