広島のあすにゃん

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孔子の哲学と政治の言葉

天風録アラスジ

岸田文雄首相の裏金事件に対する言葉の使い方が問題視されている。首相の「丁寧な説明」や「火の玉」の決意は、事実と一致していないとの批判がある。また、自民党の再生に「命懸け」であるとの発言も、実際の行動とは異なると指摘されている。政治は言葉であり、正しくない言葉が政治を腐らせているとの見解が示されている。

 

コメント

私の未読本の一つが、広く知られている孔子の『論語』です。孔子は東洋の哲学の世界で非常に有名な存在であり、その教えは今日でも多くの人々に引用されています。

 政治についてどのように考えていたのかを弟子に問われたとき、孔子は「必ずや名を正さんか」と答えたとされています。この答えは、公正な態度をすることの重要性を示しています。

  渋沢栄一はこの言葉を解釈し、それを「名実相伴うようにすることにある」と述べています。これは、名前と実際の行動が一致することが重要だというメッセージを伝えています。

私の見解では、政治という領域ではウソが不可避と思われます。

  これは、「誠実な」政治が敵に対して隙を作り出すため、時に不利な戦術となるからです。例えば、北朝鮮のように次に何をするか予測が難しい国は、その未知性から恐れられることがあります。

  一方で、日本のように行動パターンがある程度予測可能な国は、海外から見ても安定性があると評価されているように感じます。これは国際的な政治の舞台での戦略の違いを如実に示しています。

国際社会の競争が激しい状況を考慮に入れると、日本の政治の誠実さを求めることは、国防という視点から見れば複雑で困難な問題となります。

 しかし、それが無秩序に税金や裏金を自由に使用するという行為を正当化する理由にはなりません。政治の誠実さという原則は、国際的な競争を考慮に入れた上で、しかし同時に公共資金の適切な使用を志すことを、常に心に留めておく必要があると考えます。