天風録アラスジ
宮崎空港で戦時中米軍によって投下された不発弾が爆発し、滑走路が一時閉鎖された。幸いにも大きな被害はなく、翌日には運航が再開されたが、戦後の影響が今も続いていることを感じさせる出来事だった。
コメント
兵器の爆発事故の翌日に運航が再開されたという事実に、私も深い驚きと懸念を感じずにはいられません。このような事態は、戦時中における人命軽視の傾向と感覚が同じであることを如実に表しているように思われます。当時の社会では、人の生命よりも軍事的な目的や国家の方針が優先されることが少なくありませんでした。
特攻隊の存在は、この人命軽視の極端な例と言えるでしょう。若い兵士たちが「人間爆弾」として自らの命を犠牲にすることを強いられたのです。この悲劇的な作戦は、戦時中の日本社会が直面していた厳しい現実を物語っています。
さらに驚くべきことに、一般市民の生活においても同様の傾向が見られました。著名な女優である黒柳徹子氏の証言によると、空襲警報が鳴り響く中でさえ、子供たちは学校への登校を余儀なくされていたそうです。
黒柳徹子は、戦争の影響が日常生活に徐々に及んでいく様子を、食事の変化を通して鮮明に描写しています。彼女の回想によると、戦争の進行に伴い、日々の食卓に並ぶ料理の質と量が徐々に変化していったそうです。最初は気づきにくい小さな変化から始まり、やがて主食や副菜の種類が減少し、最終的には食事そのものを確保することが困難になり、配給になっていったといいます。この食事を通じた描写は、戦争の影響が一般市民の生活に及ぼす深刻さを、具体的かつ身近な形で表現しており、当時の社会状況を理解する上で貴重な証言となっています。
地球温暖化で飢餓が叫ばれています。戦争が海外で続く中、豊かな生活がやがて配給生活になるのも、近いかも知れません。早く平和が訪れてほしいものです。