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広島のあすにゃん

広島のアスリアが、日々の備忘録を書きます。

ごぜん様さま ああ昭和

中根夕希からのクイズ:
 平成生まれの中根さん。もし、昭和に生まれていたら、これを体験したい、ということがある。
 それはなにか?
 雑談で横山アナウンサーが、「パソコンに入力したデータが、エンターを押したとたん消えた! ってのがある!」
 といっていたけど、思わずうなずきました。

☆リスナーの当てっこ:
 テレビのチャンネルを、リモコンではなく、手で回して変える? (電話はダイヤルを回したことある中根さん)。
 車の窓のレバーをぐるぐる開けてみたい? (昔やってたよ、と中根さん)。
 車のドアミラーは、ドアに着いていたからドアミラー。車の前についていたミラーもあるよ、と横山アナウンサー。
 (わたし;それはフェンダーミラーだよーん♪)
 ターンテーブルの上にレコードを置いて、レコードを鳴らしたかった?
 体育の時間に、ブルマをはいてみたかった?
 アッシー君、メッシー君、ミツグ君とかはべらせて、女王気分を味わった?
 
 クイズの答え:
 好きな人と打ち合わせして、ドキドキしたい。メールなしで。
 15分とか待ってる間に飲んだりして(笑) と中根さん。
 JRに黒板があって、「喫茶店で待ちます」 と書いてあったりするんです、と横山アナウンサーでした。

 リスナーさんのメールから。
 ※七〇年代には、ストがいっぱいあった。学校の先生も、JRのみなさんも、休んだりしていたのであった。
 ※60年代には、お風呂がなく、銭湯に行っていた。いまは家に風呂がある! 
 ※赤色の公衆電話があった。 3分10円、黄色(プッシュ)、桃色の公衆電話があった。
 ※エッチなポスターが貼ってあった映画館のまえを、走り抜ける。
 ※口裂女の話。マスクをして、足も速く(カール・ルイスもびっくり! 100m 6秒!!!!)、犬が苦手というメールもありました。

ラジオ深夜便 『昭和史を味わう:わたしの生きた昭和の時代』途中から

ラジオ深夜便『昭和史を味わう』わたしの生きた昭和の時代


だるまストーブの思い出 68歳のリスナー
 湯たんぽ。そして学校では、だるまストーブ当番になったとき、教室に早く出向いて石炭で部屋をあたため、アルマイト製の弁当箱をストーブにおいて温めた。団塊の世代だったので、沢山暖めなければならず、順番に暖めていた。いまでは便利になったが、子供のころに不便だと工夫力や忍耐力がつくのでは?

 自分史の本 76歳のリスナー わたしの記憶が描き残したい昭和
 パステル画で、戦中・戦後の子供から平成へ。
 東京大空襲の夜 の絵は、リアルで迫力がある。
 マッカーサーの出てくる朝は、東京日比谷にマッカーサーが出勤する絵

 ラスト:昭和の風よ永久に吹け 
 昭和は過酷な時代だったが、どん底から這い上がり、真面目に働いてキセキ的な復興を遂げた。今後何が起ころうと、あの時代に学べばなんとかなる! (自費出版

昭和史を味わう:わたしの生きた昭和の時代 01

2017/03/30 ラジオ深夜便 『昭和史を味わう:わたしの生きた昭和の時代』
リスナーからの便り 要約
 大正15年7月に生まれたリスナーのひとりイトウノボル(90歳)は、両親は小作農。父親は秋には実った米を地主に納めて両親共々出稼ぎに。子供の彼は、食事は大根と芋と、少量の米であった。彼が16になり、伯父の所へ年季奉公へ行くことになった。印刷物を運ぶ重労働。そうこうしているうちに、海軍に徴用された(毎日塹壕ほり)。
 終戦後、田舎に帰ることになった。平和とは何か、人間らしく生きるとはなにかと考えつつ、生きていきたい。

 ヒガシカワフトコ(89歳)。昭和2年生まれ。中2になり、3年の時は授業がなくなり、学徒動員に。毎日有能な先輩が出撃されていくのを目撃。戦時中特に印象的だったのは、ペンを剣にかえ、出陣の抱負を述べたこと。
 昭和20年4月の空襲で我が家も焼失。焼夷弾の落下音は、二度と聞きたくない。多くの犠牲の上になりたつ今の日本。憲法9条を守り通さねば。

 昭和の漢字一文字は、『食』 84歳のリスナー。
 戦時下、米・肉などはまったく流れず、一般庶民は「贅沢は敵だ」という軍の宣伝に踊らされた。いまは食にあふれている。かつては かぼちゃと芋を一生分たべたものだった。

 シベリア抑留のつらい思い出 90歳のリスナー。
 多くの戦友が極寒と飢えに悩まされ、永遠の眠りについている。60万ものひとびとが抑留されたのである。厳寒の地、労働で最初の年にかなり亡くなっていたのである。忘れてはならない。

 満州からのひきあげ 81歳のリスナー
 父が軍人だったので、満州で生まれて幸せに暮らしていたが、ソ連が侵攻してきたため、3日分の食料と位牌などをもって南へと。北朝鮮で歩いて38度線を突破しようとしたとき、ソ連兵に銃を突きつけられたものの、長崎へ。大切な弟と妹を亡くしてしまったのだ。もう二度と戦争のない平和な日々を祈る。

 戦前のラジオの思い出 94歳のリスナー
 昭和11年ベルリンオリンピック 前畑がんばれ! の連呼。大相撲のラジオ放送。真空管製で、箱をとんとん叩くと調子が戻る。昭和16年の歴史的開戦。

 ラジオに関する話 84歳のリスナー。
 戦争と大本営の発表。千人針。パーマネントはやめましょうなど、国中が洗脳されていて恐ろしい時代。山の中の片田舎までB29が来たことがある。政治家などが私情で物事を判断するのが怖い。

 戦中戦後の母親に感謝 75歳のリスナー。
 戦争が始まったとたん出産した母親の不安(最初の子供)は、いかばかりか。食糧難のときは、花嫁衣装を農家に持って行って食料と替えてもらった。お母さんありがとうございました。二度と悲しい思いを若者にさせたくないのです。

 甲子園球場の空襲 72歳のリスナー。
 阪神大空襲のことを思い出す。甲子園球場のすぐ近くに住んでいた自分たちは、空襲で我が家が焼けるとは思っていなかった。ラジオから、『空襲警報発令!』と何度も叫ぶ声。防空壕に避難する一家。そこで辺りの状況が一変していた。だれもかれも茫然としていた。軍事工場になっていたから、球場の近くが空襲されたのである。甲子園の事実を伝えたい。

今日のコメント:
 人は好んで戦争の時代に生まれたわけじゃない。
 出会ったときの悲しさ。今の子どもたちが知らないことは、
 大きな特典を持っていることを自覚して、その悲しみをくみ取る。
 自分が生まれてきた時代が幸せなら、次世代に伝えていって欲しい。

 

ごぜん様さま ああ昭和

ごぜん様さま 「ああ昭和!」(1/5)
 桑原さんからのクイズ:
 職場の若者(スタッフ)が、TVロケ先の喫茶店で 「これ珍しい!」 と触ったモノがある。
 昭和の人間にとってはふつーのものだったが、それはなにか?

 リスナーの当てっこ:
 喫茶店の丸い星座占い?
 インベーダーゲーム
 玉を一個ずつ入れるパチンコ?
 角砂糖? (喫茶店にはないかも)
 店名いりのマッチ?
 手打ちのレジ?
 
 桑原さんの答え:
 黒電話。ダイヤル式のやつ。若者は、触ったことがないらしい。0が多いときの時間がかかること!
 デザインはかわいい。

リスナーさんのメールから。
  ※野球のコールが、「1ボール」「2ス、トライク」と、
   ボールから先にコールされるのはここ二年ぐらい。
   昭和は、ストライクが先だった。
 ※文通もはやったなあ。
 ※改札口の切符切りもあったなあ。
 ※テレビや洗濯機が調子悪くなったとき、叩いて直そうとしたよね。
 
☆改札口の切符売り
 切符を切る人のことを、いまでは差別用語ですが、
 「もぎり」 と 言ってました。
 これがなんで差別用語になるのかは、不明です。
 女中も差別用語
 なので、メイドになりました。
 やってることは、同じですがねえ。 

(2/5)
☆河村綾奈さんのクイズ:
 平成生まれの河村さん。
 わたしの母は、昭和な人ですが、新しいものをどんどん取り入れる人。
 でも、そんな母に対しても「ああ昭和だな~!」 と思うことがあった。
 それはなにか?

 リスナーの当てっこ:
 「呼ばれて飛び出て、じゃじゃじゃじゃーん♪」 とやってくる?
 チャンネルを回して、という? (リモコンをサランラップで巻いてるひとがいる……)
 輪ゴムとか、きれいな包装紙や、ついているリボンを大切にしまっている?
 やられちゃった~というとき、「ぎゃふん」という?
 そろばんを渡すと、「あなたのお名前なんてーの?」 という?

 クイズの答え:
 服のハンガーのことを、「衣紋掛け(えもんかけ)」 という。
 スニーカーのことは、ズック。
 デニムのことは、Gパン。
 スーツのことは、背広、三つ揃い。
 昭和、平成をくらべてみると、
 チョッキじゃなくて、ベスト。
 ちり紙じゃなくて、ティッシュ。
 みずやでなくて、食器棚。
 ジャンバーじゃなくて、ブルゾン!
 
☆今日の『ごぜん様さま・いろはかるた』は
「ほ」 でした。
 「本題から、脱線」 が採用されました。

※「ごぜん様さま」では……
 横山アナウンサーと相手役の人が、いつも脱線して、
 予定していた企画がいつも、押してしまうらしいんです。
 脱線も楽しいのはたしかですね!
 文章に出来ない面白さがあります。

昭和ネタ・お菓子の歴史

日本におけるお菓子の歴史を、ざっと振り返ってみます。

昭和一〇年頃、幼稚園児に人気のおやつは、一位は「ビスケット」、二位は「おかき」、三位は「せんべい」でした。


戦前・戦後を通じ、国民的な人気のアメはキャラメル。


昭和二十三年には、ロッテのガムが飛ぶように売れました。

 
昭和二十六年のオレンジジュースの代表的な商品は、「バヤリースオレンジ」。


そして、昭和二十九年には、それまで瓶詰めが普通だったジュースを、明治製菓が初めて「缶ジュース」を売り出し、大好評を博しました。


昭和三十二年から、お米屋さんでは、果汁飲料の「プラッシー」を売っていました。
昭和三十三年に、渡辺製菓が粉末ジュースを発売。粉末を水に溶いて作るオレンジジュースが人気でした。商品名は「ワタナベのジュースの素」でした。


昭和三十六年、コカコーラが「レギュラーサイズ」のコーラを発売しました。
昭和三十年代には、コーラよりもファンタオレンジや、グレープのほうが好きだった人が多いらしい。
昭和三十七年頃に発売されていた、子どもたちに大人気の「マーブルチョコ」。
色とりどりにコーティングされたチョコがきれいでした。
そのころからコカコーラのCMのキャッチコピーは、


「スカッとさわやかコカコーラ」でした。


昭和三十九年に発売された、不二家ネクターは、発売後四十年以上も続くロングセラー。
果実を丸ごと裏ごしして作った飲み物で、とろりとした濃厚な味わいが特徴です。


昭和四十年代半ば、みかんの在庫がだぶつき、その消費を進めるよう開発されたのが、「100%オレンジジュース」です。
昭和四十年代、アーモンドグリコのCMのキャッチコピーは、
「一粒で二度おいしい」でした。


昭和五十年代、ジュースの材料にグァバやマンゴーなどのフルーツを使ったトロピカル・ドリンクが人気になりました。

 

 

このように、時代が下るにつれて、食事だけでなく、お菓子もだんだん贅沢に、おいしくなっていきました。人工甘味料を使ったものも初期の頃は多かったのですが、PTAなどが問題視して排除していきました。

 


 昭和初期には、おやつにたべるみつ豆が、お汁粉屋やフルーツパーラーなどで人気になったそうです。

 


 こうしてみると、最近の子はまったくこういうものをたべないかなぁ、と思えてきます。コカコーラやキャラメルぐらいなら食べるでしょうが、そのほかはどうでしょう。
 百年近く積み上げてきたお菓子の歴史。守りたいですね。

昭和ノスタルジークイズ 010

☆今年は1月は、月・水・金に昭和ネタのクイズを書くことにしました。
ノスタルジーに浸るとともに、脳トレを行い、
ぼけ防止に役立てて下さい。

☆○○バンド
 昭和34年の皇太子ご成婚のおり、
 ミッチーブームが起き、 
 純白のドレスや長手袋、
 ○○バンドなどが憧れの的でした。

☆昔は男の靴下も、
 靴下止めを使っていましたが、
 ソックスの口元に
 「○○」 が織り込まれ、
 それもなくなりました。

☆昭和30年代
 ストッキングが「○○○レス」
 になり、女性に大好評で
 受け入れられていきます。

☆紳士服既製品の
「○○○○」は、昭和46年からCMに
 俳優 アラン・ドロンを起用し、
 大きな話題となりました。

☆というわけで、
 今回は、ファッションです。
 答え
 ヘア(バンド)
 ゴム
 シーム(レス)
 ダーバン

☆今はとても便利になりました
 おしゃれで便利な品が、いまはとてもたくさんあります。
 昔は、ストッキングに線が入っていたなんて、
 信じられない気持ち。
 ある本によると、このストッキングにより、
 「破れても、捨てて新しいのを買えば良い」
 という、大量消費の時代に突入していった、
 つまり、「もったいない」 という意識がガラっと
 変化した、という説が載ってました。
 わたしは、もったいないのと 寒いのとで
 ストッキングははきません。
 だいたい、スカート履かないしねー。
 スカート履いてる人を見ると、
 「ストッキング、破れやすいねー」
 と同情してしまいます。

☆今回で昭和ノスタルジークイズもお終い
 昭和ノスタルジークイズ、お楽しみいただけましたか?
 あんまり引用すると、著作権に触れますので、
 これ以上はできません。
 まあ、ちょくちょく、折を見て、
 思い出したときに、昭和ネタでも書こうかなと
 思ってます。
 ちょうど ラジオ深夜便 で 「昭和史を味わう」 というコーナーがあり、
 そこから引用したりすることも、考えてます。
 あまり期待せずに、待っていて下さい。 

昭和ノスタルジークイズ 009

☆今年は1月は、月・水・金に昭和ネタのクイズを書くことにしました。
ノスタルジーに浸るとともに、脳トレを行い、
ぼけ防止に役立てて下さい。

☆第1回日本レコード大賞を受賞したのは
  水原弘
  ○○花びら
  でした。

浜口庫之助作曲の
 「黄色いサクランボ」を歌ったのは
 スリー・○○○○というグループでした。

永六輔・作詞 中村八大作曲の
 「遠くへ行きたい」
 最初に歌ったのはだれ?

☆ということで、
 今回は、歌手を中心にお話ししてみました。
 ○答え
  黒い
  キャッツ
  ジェリー藤尾

☆コメント
 「遠くへ行きたい」 は、『ダークダックス』 のほうを聞いたことがあります。
 遠くへ行っても同じだよー
 道に迷うだけだよー
 と子供心に思ったことでした。
 物憂げなこの旋律、どことなく 『雪の降る町を』 と似てます。
 今も歌われているという点でも、同じかも知れません。
 子どもの頃は、遠くへ行くより、空を飛びたかったな。
 きれいなクジャクのような尾に、キラキラ光の粒子をちりばめた
 羽を羽ばたかせて。
 手塚治虫の 『火の鳥』 が憧れでした。

☆この時代のトピックス
  <長嶋茂雄逸話あれこれ>
  この頃、長嶋茂雄がヒーローだったんですが、
  天覧試合で阪神相手にサヨナラホームランを打ったり、
  ルーキー時代にホームラン打ったのに
  1塁ベースを踏み忘れてアウトになったり、
  彼らしいエピソードが色々伝わっています。
  ヒットの秘訣を記者に聞かれて
  「ガッときたらぐわっと」
  という擬音でごまかした話も、聞いたことがある(笑)
  今はすっかり衰えてしまって、見る影もないのが残念です。